仕事の最近のブログ記事

教会

Saint Nom de Jésus先日も少し触れましたがこのところ仕事が忙しくて、ブログの更新が滞っておりました。
何しろ6月に入ってから超ハード・スケジュールで、今週に入ってから今日迄は8月に開催されるフェスティバル・ベルリオーズ "Festival Berlioz" で行われるコンサートの為のリハーサルを教会で行っていました。しかも始めは毎日場所が変わり、移動が結構面倒だったのです(^^;
写真は火曜日に伺った、リヨンの6区(リヨンは9つの行政区からなっています)にある、"Saint Nom de Jésus" と言う教会です。この教会のすぐ前に割りと広い公園があるのですが、以前はこの近くに社会保険事務所があったので、娘がまだ小さかった頃にはよく訪れた界隈です。
でもこの教会の中に入ったのは今回が初めてでした。教会と言うとどうしても湿っぽくて薄ら寒い感じがしますが、ここは陽が差し込むと明るくて、とても綺麗な所でした。

このコンサートは、8月27日(水)にベルリオーズの生地であるラ・コート・サン・タンドレ "La Côte-Saint-André" の教会で16時から催されます。構成はパート2人ずつのダブル・オクテット(+1)の17人ですが、全プログラムがア・カペラ(無伴奏)である上に、曲によっては17声部に分かれるので全く油断出来ません(笑)。でも、先週一杯はオペラ座のリハーサル室で1曲1曲お互いの音を確かめながらのリハーサルだったのが、こうして音響のまるで違う空間だと気分も変わり、いつもの事ながら歌っていてとても気持ちが良いものです(^^)

次は「ポーギーとベス」

リヨン・オペラ座のプログラムは、4月28日~5月7日に隣町ウランのルネサンス劇場でクルト・ワイルの歌劇「レディー・イン・ザ・ダーク」の公演(フランス初演)があり、その後5月17日からはオペラ座でジョージ・ガーシュインの歌劇「ポーギーとベス」の公演があります。

「ポーギーとベス」は、当然の事ながらそのキャストの殆どが黒人ですが、ガーシュインの遺族の指定・取り決めにより、白人の役以外は「アフロ・アメリカン」でなければいけない事になっています。この方々、シドニー・ポワチエ主演で1959年に製作された映画版が、原作を無視したミュージカル仕立てだった事からそれを不服とし、映画に関する全ての権利を買い上げた上に、全てのフィルム、プリントを焼却してしまったと言う逸話があるほどで、この方々の許可なくして公演は成り立たないのです。しかしながらアメリカから大人数の黒人歌手に来てもらうのは、どこかの団体の引越し公演ならまだしも、旅費や労働ビザ等の問題もあり余り現実的ではないので、遺族との交渉が必要だったわけですが、最終的には「黒人ならOK」と言う許可が頂けました。
勿論、コーラスも黒人でなければならないのは同じで、去年、黒人歌手のエキストラ16名募集のオーディションが行われました。しかし、フランスにはアフリカ系移民が多いですが、ラップなら兎も角オペラを歌えるかどうかとなると別問題。その為、始めリヨンだけを予定していたオーディションは、その後パリとロンドンでも行われました。

こうして選ばれた16名が、黒人ソリスト達と共に舞台上で活躍するわけで、現在行われているリハーサルも彼らが中心となってやっています。それじゃあ残る正式団員の我々はバカンスか?と言うとそれは大きな勘違い!! 舞台袖で陰コーラス、あるいは舞台にいてもチュールの幕で客席からは隠れて見えないと言う状態であっても、ちゃんと参加させられるのです。
しかも、「舞台に上らなきゃいいんだろ?」といわんや、第2幕後半のピクニックに出掛ける場面では、全員がカーニバルさながらに思いっきりメイクをして誰が誰だか分からない扮装で客席に登場。更には、「どうせ誰だか分かんないんだから~!」とばかりに、そのまま勢いで第2幕第2場は舞台にまで出てしまうのです...(^^;
先日、そのメイクの試しが行われたので、出来上がったところを携帯電話のカメラで撮ってみました。僕はマクドナルドのロナルドみたいなピエロですけど、同僚の中には「キャッツ」の中の猫や、キッスのジーン・シモンズみたいなメイクされてる人までいて皆凄いですよ。これが決定かどうかは分からないですけどね(笑)。

正直なところ、このオペラだけは何処をどう転がっても自分は絶対に演る筈のない曲だと信じていたんですけど、少し考えが甘かった様です(^^;

キャンディ-ド

3月初めから数回に亘ってリヨンのサル・モリエール Salle Molière 他で催された、レナード・バーンスタインの「キャンディード」の公演が昨日やっと終わりました。
「キャンディード」は、バーンスタインが1956年に書いたミュージカルですが、彼自身「靴の中の石ころ」と形容した様に、発表されてから幾度も改訂を試みたそうで、1990年に他界するまでの間ずっと気に掛けていた曲だそうです。

今回のこの公演は、原作者でありリヨンとも縁の深いヴォルテールの没後230年を記念して、また、小説「カンディード、或いは楽天主義説」の発表から来年が250年になるのを祝うと言う主旨で、本来のミュージカルと言う形ではなく、オペラ・コミーク風にアレンジすると言う初の試みで催されました(僕が手伝わせて頂いたのは、コーラス・パートと端役です)。

公演のポスター公演に当たっては改訂版の録音も合わせて聴き比べてみましたが、バーンスタインが指揮をしジェリー・ハドレーがタイトル・ロールを歌っている1989年12月の「キャンディード」のロンドン公演の様子が収められたDVDはとても印象的ですね。その一部はYoutubeでも観る事が出来ますが、その映像を見ているとバーンスタインがその数ヶ月後に亡くなってしまったのが信じられないほどです。
また、アングロ・サクソン系レパートリーの第一人者と呼ばれ、グラミー賞まで受賞したハドレーが、去年猟銃自殺を図った後に死んでしまった事を思うと、同業者として他人事では済ませられない感情を抱いてしまいます。病気、経済破綻、離婚、また、仕事上でも50歳を過ぎ転換期を迎えていた事等、その原因となる要素は幾つかありますが、自殺に至る本当の理由は分かりません。でも、個人的に「キャンディード=ハドレー」と言うイメージが強い所為でしょうか、どうしても納得のいかない最後に思えて仕方ないのです。第2幕フィナーレの歌詞の様に、「何はともあれ、先ず私達は畑を耕さなければなりません」(注釈)と考えて欲しかったです。

注釈:フランスでは引用句として会話にもよく登場する有名な文ですが、「すぐに解決が出来ない難題は後回しにして、先ず自分の周りで改善出来る事から手を付けよう」、または、「社会の発展の為、より良くなる為に力を注ごう」と言う風に解釈されます。

舞台稽古

スペードの女王昨夜はオペラ座の次の演目、チャイコフスキーの歌劇「スペードの女王」の初めての通し稽古が衣装&メイク付きでありました。
終わってみたら2時間半の作品に、舞台変換に必要な時間と休憩時間も加えて4時間半掛かっていました。実際にどれだけの時間が掛かるのかを知るのは、とても大事なんですよね。しかも一旦始まってしまうと、音楽は待っていてくれませんから、衣装の早代わり等は時間との戦い、楽屋はまるで戦場のようでした(^^;

写真は昨夜ではなく、舞台稽古の初日に撮ったものです。オペラ座地下5階にある稽古場でのリハーサルが終わり、舞台上に装置が全て出揃うと、今迄目に見えていなかった不具合も見つかり、いつもの事ではありますけど、なかなか思うように稽古は捗りませんでした(^^;

今日の午後からはピットにオーケストラが入り、約一週間後に迫った初日までリハーサルが繰り返されます。

La Vie Parisienne只今、リヨン・オペラ座ではオッフェンバックの喜歌劇「パリの生活」を上演していますが、今夜はその7回目の本番。France Musique(FMラジオ)で19時半から生放送されます。その模様は同サイトでも同時刻に聴く事が出来ますし、放送終了後24時間以内ならストリーミング配信も行っていますので、興味がおありの方はどうぞ!
歌って踊って3時間。外は氷点下だと言うのに、毎回汗ダクになってやってます(>。<)

※写真は第1幕フィナーレ。オペラ座のホームページから拝借しました(^^)

リヨン国立歌劇場音楽監督

もうご存知の方も沢山いらっしゃると思いますが、来シーズンからリヨン国立歌劇場の音楽監督に大野和士さんが就任する事が決まりました。
劇場側から発表があったのは、先週の22日の朝でしたが、僕ら内部関係者が知るより先に日本のメディアが就任のニュースをトピックで流していたのには、とても驚きました。でも、僕らには音楽監督と紹介されましたけど、日本のメディアでは主席指揮者という風に伝えられていますね。僕にはちょっと意味が違う様な気がするんですけどね(^^;

そして、今日の夕方には大野さんご本人が劇場に挨拶にみえました。実を言うと、僕と大野さんは今回が初対面ではなくて、まだ僕が学生だった頃に数回仕事をご一緒させて頂いた事があるので、お会いするのは約20年振りと言う事になります。今日お話した時に、当時学生だった僕の名前は覚えていらっしゃいませんでしたが、顔は見覚えがあると仰ってくださり、なんだかとても嬉しかったですよ。

このリヨン国立歌劇場の音楽監督というポストは、2003年にハンガリー人指揮者のイヴァン・フィッシャーが辞任して以来、暫く空白のままだったので、今回の就任には期待が高まります。大野さんの任期中に既に様々なプロジェクトが予定されていますが、その中に日本公演の話もあったりして、今から楽しみでワクワクしちゃいます(^^)

南仏マントン

Menton先週末は仕事で南仏コートダジュールのマントンへ行って来ましたが、超過密スケジュールだった上に、主催者側が用意してくれたホテルが隣町だったので、更に移動時間もプラスされ、まるで観光のかの字もありませんでした。当然、写真すら撮る暇もなかったので、せめて絵葉書を買おうと考えていましたが、それだってTGVに乗り換える為にニースで一旦降りた時に、キオスクで見つけた物です(笑)。
有難かった事と言えば、やっぱり太陽でしょうか(笑)。先週のリヨンはセーターを着るくらい寒かったのに、マントンは流石に暑かったです。

マントンはイタリアとの国境にあるコートダジュール最後の町で、毎年2~3月に開催されるレモン祭やコクトーが愛した町としても知られています。
マントンと国境を接するイタリアのヴェンティミリアまでは、ニースから列車で1時間足らずだったので、まだニースに住んでいた頃はよくイタリアの食材を買いに行きましたが、マントンはこのレモン祭に行ってみたいと思いつつも、通過のみで結局一度も行った事がありませんでした。
今回初めてマントンに降り立ったわけですが、残念ながら何も見る事が出来ませんでしたが、大き過ぎず小さ過ぎずという町の感じがとても良かったです。今度は是非ゆっくり訪れたいです。

サンテティエンヌ大劇場

Grand Théâtre de St Etienne今日から4月1日までの間、サンテティエンヌ大劇場で仕事です。
演目はビゼーの歌劇「ジャミレー」とプッチーニの歌劇「外套」の2つで、イギリスのオペーラ・ノースの2004年のプロダクション。リヨンのオペラ座との共催で、ここサンテティエンヌでも再演される事になりましたが、僕はプッチーニの歌劇「外套」で端役を歌います。

昨日の雹サンテティエンヌはリヨンから車で1時間位の場所なので現地には宿泊せず、ほぼ毎日往復しなければなりませんが、昨日からの突然の冷え込みで少しばかり道中が思いやられます。昨日の午後は数十分に亘り凄い勢いで雹が降り、アパートの花壇が真っ白になってしまいました。それに加えて今朝は娘が登校する時、雪が散らついていたとか...。

と言う訳で、ブログの更新が少し滞るかもしれませんが、どうぞご了承ください。

フランクのCD試聴

C.Franck去年の10月にレコーディングしたフランクのCDが、独AEOLUSレーベルから今月19日にリリースされます。そのサンプル盤を昨日試聴しました。
タイトルは「オルガン付き声楽曲全集 vol.1」(直訳)と言う事ですが、2枚目は今秋に出るそうです。
因みに、ジャケットはレコーディングを行った教会の天井の写真です。青・金・紫の色合いが鮮やかですね。でも、レコーディング中は教会内が薄暗くて、全く気が付きませんでした(笑)。

ムッシュー・フジタ

Léonard Foujita今年生誕120年を迎えた藤田嗣治氏は、東京美術学校を卒業後、1913年に渡仏。モディリアニやスーティン等と共にエコール・ド・パリの代表的画家として活躍しました。第二次大戦時には、従軍画家として戦争画を描きましたが、大戦が終わるとまたフランスに戻り、その後、二度と日本の土を踏むことはありませんでした。

リヨン・オペラ座の12月の演目は、レハールの喜歌劇「メリー・ウィドウ」です。仏語版の上演ですが、今回は演出家により、新たに様々な登場人物が追加されていて、オリジナルのドイツ語版とは話の大筋は同じでも、登場人物の名前、国名等も違うので、始めは誰が誰の事なのかさっぱり分かりませんでした(笑)。因みに、時・所の設定は1920年代のパリです(原作では1905年初演当時のパリ)。
第3幕は原作では「マキシム風に飾り付けたハンナ邸宅」(仏語版でハンナはミッシア)となっていますが、仏語版では本物のマキシムが舞台なので、これを良い事に演出家は、当時パリにいた(しかもマキシムのすぐ傍にアトリエの1つがあった!)藤田氏を蘇らせ、日本人である僕に演らせる事を思い付いたのです。勿論、本編とは関係ないので黙役ですけどね(^^;
今尚フランスで最も有名な日本人、レジョン・ドヌール勲章も受章した藤田氏のトレードマークとも言うべき「おカッパ頭」は余りにも有名なので、どうやら僕の頭もこんな風にしようと言うつもりらしいのですが、9月にシーズンが始まって以来、髪の毛を勝手に切るな!と言い渡され、長く伸びても切れない上に、切られてもこの髪型にされてしまうのかと少々悩んでいます(笑)。

藤田氏はまた、猫好きとしても知られていますが、猫の展覧会の審査員を務めた事もあるそうです。その彼が猫について次の様に語っています。

私は猫を友達としている。(中略)
猫を友達とする訳は、猫は野獣性と家畜性との二つの性質を持っているので、そこが面白いと思うのである。ライオンの仔やトラの仔は、初めのうちこそ家に置いてもよいだろうが、大きくなるとこれは始末に困るに違いない。
猫に猛獣の面影がある所がよいのである。

明治の人とは思えない考え方、センスの良さに感嘆してしまいますが、彼が40歳の時に、「私」について語った言葉に共感を覚えます。

私は、フランスに、どこまでも日本人として完成すべく努力したい。私は、世界に日本人として生きたいと願う、それはまた、世界人として日本に生きることにもなるだろうと思う。

初日まであと2週間足らず、体型は真似出来そうにないけれど(笑)、せめて内面だけでも本人に近づける様、努力せねば...。

復活の兆し?

Chapelle Saint Joseph昨日の午後はエーン県の2006年コンサート・シーズンに於いて、ベルリオーズのカンタータ「オルフェの死」のテノール・ソロを歌いました。夜にはリヨン・オペラ座で本番があったので、自分の出番が終わると、コンサート終了を待たずに会場を後にしなければなりませんでしたが、それでも会場からブール・アン・ブレスの駅までは車で20分ほど掛かる為、駅に着いた時にはもう発車の5分前でした(^^;
手術後、初の大役だった訳ですが、例によって出番前は極度の緊張の所為で檻の中の熊よろしく、控え室で落ち着きなくあっち行ったりこっち行ったりウロウロしていました(;_:
幸い、演奏の方は我ながらまあまあの出来で(ホッ)、追加公演や次回のコンサートへ出演依頼も受けたりと、嬉しい出来事もありました(^^)V

娘が作ったケーキブール・アン・ブレスから乗った列車は約10分遅れでリヨン・ペラーシュ駅に着き、オペラ座に着いた時は、開演30分前を切っていました。その後本番が始まると、疲労と空腹も手伝って、第2幕の途中辺りから酷い頭痛に襲われました(@@;
帰宅後、お茶漬けと一緒に梅干を食べましたが、こう言う時はつくづく自分は日本人で良かったと実感しますね。そして、デザートには、昼間娘が計量から全部一人で作ったと言う、「お花畑のケーキ」を食べ(写真は昼間妻が撮った物)、少し元気を取り戻しました(^^)

朝から緊張のし通しで、オルフェの如くそのまま死んでしまいそうでしたが、久し振りに充実感を味わう事が出来た意義ある一日でした。完全復活までもう一息?

疲れた!

昨夜は本番の後、なかなか寝付けなくて本を読んでいた所為で殆ど眠っていない上に朝も早かったし、正午にやっとリヨンに着いてホッとしたのも束の間、午後には「メリー・ ウィドウ」の立ち稽古があったので、凄~く疲れました(@@;

これからパリに行きます

今のリヨン今日はリヨン・オペラ座の「夢遊病の女」のパリ公演の為、これからパリに行きます。
天気予報ではリヨンもパリも一日中雨の予報だったんですけど、こちらリヨンは明け方まで降っていた雨が上がり、今はこんなにお天気が良くなりました。パリの天気はどうなのかちょっぴり心配ですけど、どうせ日曜日でお店も開いてないし、去年もそうだったけど、今回も余りヒマがないのです...(;_:

プレッシャーとの闘い

エミーユ・レヴィ作「オルフェの死」 ベルリオーズのカンタータ「オルフェの死」については、少し前にホーム・ページの方でも触れたのですが、今日は指揮者との第1回目のリハーサルがありました。
自分で言うのもなんですが、元より気が小さいと言うか、あがり性で、たまにこの商売に向いてないんじゃかとつくづく思う事があるんです。本番前とか凄くドキドキしているから本当は喋りたくて仕方がないのに、自分の事を落ち着かせて集中する為にジッとしていると、それが周りの皆からは余裕綽々で落ち着き払っている様に見えるらしくて、驚かれる事が多いです。結局はそうやってジッとしている方が、咽の為にも良いんですけど、その辺のコントロールって言うのはいつまで経っても慣れないですね。それに加え今回のソロは手術後初めての大役なので、いつも以上にプレッシャーを感じています。トホホ...(^^;

リヨン、ローエングリン

Lohengrin - Lyonリヨン・オペラ座の新シーズン開幕第1作は、バーデン・ バーデン祝祭劇場とミラノ・スカラ座との共同プロによるワーグナーの「ローエングリン」 で、先週の土曜日に初日が開けました。
それに先立つ10日(火)のリハーサルは、本来なら歌う必要がなかったのにも拘らず、「テレビの取材があるから、第2幕は本気で歌うように!」と言う上からのお達しがありました。大体においてこの手の取材は著作権の発生しない3分未満である事が通例なんですけど、「どの部分が使われるか分からないから全部歌え」という事だったんです。
そして、その放映が13日(金)にあったのですが、そんな事はすっかり忘れてしまっていたので、先ほど局のサイトへ行ってストリーミングを見てみました。でも案の定、歌っている部分は幕切れでエルザとローエングリンがカテドラルへ入って行くシーン(写真)で、2分25秒のルポルタージュの内のほんの数秒でした。無駄な声を使わせおって、まったくぅ!!
今夜は2回目の本番ですが、帰りは夜中の1時近くなので、これからちょっと昼寝でもしようかな~(^^)

今日はジュネーヴ

ジュネーブ聖ヨゼフ教会今日はスイスのジュネーヴへ行って来ました。リヨンからは電車で2時間程なんですが、あんまり行く機会がないんですよね。
今日はジュネーヴの児童合唱団他の主催で10 月にレコーディングを予定している、セザール・フランクの「モテット」の第1回目のリハーサルでした。 フランクはベルギーのリエージュ生まれで、主にパリで作曲家、オルガニストと活躍した人なんですが、フランスに現存する数あるオルガンの中で、彼の作品を演奏するのに一番適しているオルガンと言うのは、実はリヨンにあるのだそうで、実際レコーディングはその教会で行われます。
一応、国境を越えるのでパスポート・コントロールもあるわけですが、この間のロンドンのテロ未遂以来、何だかシツコイくらいパスポートを見られるんです。こっちで更新をしているので、昔ながらのパウチっ子仕様(?)で最近のパスポートみたいに写真が埋め込まれていないのが原因でしょうか。何だか悪い人と疑われている様で、何にもしてないのにドキドキしちゃいます(;_:

終身雇用

CDI今日から新シーズンのリハーサルが始まりましたが、その前に大きな茶封筒を渡されました。中には契約書が入っていましたが、去年更新した3年契約を破棄し、新らし終身雇用の契約を結ぶというものでした。
今まで、僕達の様な音楽関係に従事している公務員の場合、契約は最長で3年、その後随時更新というシステムだったのですが、数年前に欧州議会で「公務員の6年を超える期限付き契約を認めない」という内容の法律が施行されたので、それ以来、その対応を巡って様々な議論がありました。
結果的に法律に従って終身雇用が適用された訳ですが、以前に比べると解雇が簡単になったばかりでなく、自ら辞職する際には退職金が一銭も払われない等のマイナス点もあるわけで、毎度の契約更新時の心配がなくなった反面、手放しで喜べない状況となってしまいました...。

公演終了

Edinburgh Festival Theatre今日はもしかしたら今回の滞在で一番天気が良かったかもしれません。例によって午前中は観光がてら散歩をし、午後は本番に備えて部屋でゆっくりと言うパターン。お陰様で歌うのは大分慣れましたが、流石に体力が落ちているので身体はかなり疲れますね。
でも、「マゼッパ」の公演も今夜で無事に終わってホッとしました。 明日の出発は、なんと朝の7時! 勿論、混乱を予想して予定よりも早くチェックインを済ませようと言う訳なんですが、本番が終わるのが遅いので、皆ブーブー文句を言っていました。
ところで、ロンドン系由の妻と娘は心配だったのですが、昨晩無事にリヨンに着いた様なので安心しました(^^)

と言う訳で、これから荷造りもしなくてはならないのでこの辺で。 大体、全部入るかどうか...。手荷物無しって辛いですよね(^^;

ローエングリン初日

昨日、ローエングリンの初日が無事明けました。幕毎に1時間の休憩時間を挿むので、16時から始まっても終演が22時過ぎと言うのは、いくらこれが伝統とは言え凄いと思います。 終演後のレセプションも、今朝耳にしたところによると随分遅くまで続いたようですが、 薬の効能が切れて立っているのもしんどかったので、僕は早々にホテルへ帰りました。
本番はあと2回ですが、鎮痛剤をもう1箱買わないと間に合わない勢いです。我ながら薬に頼らずには居られないのが怖いですが、リヨンに帰るまでもうちょっとの我慢ですね(^^;

コンクールの審査

コンクールのポスター昨日と今日はリヨン・オペラ座の合唱団入団の為のコンクールがありました。
昨日はアルトでしたが、今日はテノールと言う事でパートを代表して総監督、芸術監督、コーラス・マスター他と共に審査に参加しました。朝10時に予選が始まって、昼食休憩を挟んでセミ・ファイナル、ファイナルと続き、終わった時にはもう16時半を回っていました!
歌を聴くのは嫌いじゃないですけど、その人の今後の人生に関わってくるとなると、慎重に、集中して審査しなければいけないので、神経が物凄く疲れました。
幸い、最終的には審査員全員一致で、予定通り2人採る事になりましたが、最初の1年の契約期間の内、3ヶ月間はいつでもクビにする事が出来る仮契約、また、契約期間満了の3ヵ月前に契約を更新するかどうかの最終決定がなされるので、この2人には是非頑張って頂きたいものです。
そして、夜はこれから舞台稽古が23時半まで。果たして体力が続くかどうか...(@@;

今日はグルノーブル

今日は午後からグルノーブルへ行ってきました。モーツァルトの「レクイエム」のコンサートだったのですが、今年は生誕250年とあり、モーツァルト作品があちこちで取り上げられていますね。でも、どうして「レクイエム」なのかなあ~と、僕はとても不思議に思うんです。生誕を祝うんだったら「鎮魂曲」はどう考えても違うと思いませんか? この曲が有名だからなんですかぁ?

「レクイエム」で思い出したので、もう一つ同じような疑問を...
今年の6月、リヨンに新しいコンサート・ホールが誕生します。その杮落としに選ばれた曲はヴェルディの「レクイエム」です。これも確かに有名ですよね。しかも派手だしカッコ良いけど、やっぱり「鎮魂曲」ですよ。例えば、ベートーヴェンの「第九」とかじゃ駄目なんですかね。これなら「歓喜の歌」なのにね(^^;
因みに、このヴェルディの「レクイエム」のソリストがまだ決まってないそうで、1月末に何と僕にまで打診があったんですけど(!)、スケジュールが合わないので丁重にお断り申し上げました。もしスケジュールが空いていても、他の時ならともかく、祝いの場じゃやっぱりねぇ...。

Festspielhaus最近、ブログの更新&巡回が著しく滞っていますが、これには少々理由がありまして、実は来週金曜日(3月3日)からドイツのバーデン・バーデンに行きます。演目はワーグナーの「ローエングリン」。今回はリハーサルと衣装合わせだけなので滞在は一週間のみですが、暗譜がちょっと大変なんです。勿論、主役を歌うわけじゃありませんけどね(笑)。
はっきり言って学生時代の一夜漬けのように憶えられる代物じゃないですから、気分的にはもう1ヶ月くらいあったら御の字なんですけど、オペラ座の仕事もさることながら、そろそろ慌てなきゃいけないかな~と思ってます(^^;

この一週間の間には僕の誕生日があるわけですが、娘に僕の留守を教えると「パパ、おたんじょーびにいないのぉー?」とベソをかかれてしまい、これはまたこれで参ってしまいます。トトロが亡くなってからと言うもの、家族の誰かがちょっとの間でもいなくなると言うのが、とても不安になるみたいなんです。気持ちが分からないわけではないんですけど、こればっかりはどうしようもありません。

向こうに行ったら日曜日以外は朝から晩までびっしりスケジュールが詰まっているので、観光が出来そうにありません。ま、勿論仕事で行くわけですから、当然と言えば当然なんですけどね(^^; でも、聞くところによると、ドイツ国内でブラームスの住んだ家と言うのが唯一現存する町でもあるらしいんですよね...orz

と言うわけで、もうすぐブログ開設2周年にもかかわらず、何となくサイト全体に覇気がありませんが、どうかお許しくださいm(_)m

チンギス・ハンの末裔?

今回のチャイコフスキーの歌劇『マゼッパ』の公演中、第二幕最終場では写真のような格好をしているのですが、この髭面が皆に好評だと妻に話したら、とても見たがったので同僚に頼んでデジカメで撮ってもらいました(^^;
ある同僚には「モンゴルの草原にそのままいそうだよ~!」とか、「チンギス・ハンの末裔?」と言われましたが、モンゴル民族とも深い関係にある日本人ですからね。そんな風に言われても全然違和感がないです(笑)。それどころか、「日本人の95%は蒙古斑があるし、チンギス・ハン(成吉思汗)のチンは、ナリタのナリと同じ字を書くんだ。我こそは...!」とふざけて調子に乗ってしまいます(^^;
因みに、蒙古斑を知らない人にかかっては、「幼児虐待」だと騒ぐので、ちゃんと説明しておかないとトラブルの元になってしまいますね。実際、そんな話を聞く事がありますが、流石に医師などは知っているようですね。だからって、「珍しがっていつまでも我が子のお尻を眺めるのは止めておくれでないかい?!」と、娘が赤ん坊の頃には思ったものですが...(笑)。 話がちょっと脇道にずれてしまいましたが...。
と言う訳で、リヨンのオペラ座に於ける『マゼッパ』の公演は、明後日の1回を残すのみとなってしまいましたが、この夏にはエジンバラのフェスティバルでもやるだやらないだと、いつまでも埒が明かない状態が続いているのです。いい加減はっきりしてくれないと、夏休みの予定が立たないんですけどねぇ...orz

第一楽屋のナタリー?

第一楽屋のナタリー?この手のエントリーは一体どのカテゴリーに入れたら一番良いのか難しいところですが、一応、リヨンのオペラ座に関係があるネタという事で「仕事」に入れてみました(^^;
現在、チャイコフスキーの歌劇『マゼッパ』には2頭の馬が出演していますが、シュトラウスの歌劇『薔薇の騎士』の時には、オウムや猿、ついこの間もチャイコフスキーのバレエ『くるみ割り人形』の時にはウサギ...と、オペラ座の楽屋口付近はたまに様々な動物で賑わいます。
そしてまた、数日前には新たに「第一楽屋ナタリー」と名前入りの大きな「特設楽屋」が設営され、僕は一体どんな動物が来るのだろうと毎日心待ちにしていたのですが、今朝、オペラ座へ着くと、そのナタリーがついに「楽屋入り」していたのです。

ナタリーは、今夜と明日の午後と夜、オペラ座の小ホールで公演がある、ジプシー・サーカス団「ロマネス」の『水溜りの女王』に出演するアーティストだったのです!
手入れの行き届いた毛並みは勿論の事、つぶらな瞳がとってもキュート!チューインガムでも噛んでるみたいに、口が動くところなんか何とも言えません。鳴き声はちょっとビブラートがキツイですけど、紛れもなくソプラノ。やっぱり「第一楽屋」を使用出来るだけの素養は十分兼ね備えているのかもしれませんね(^^)
しかも、驚いた事にこの動物特有のニオイが全然しないんです。それを娘に話したらさぞかし驚く事でしょう。だって、娘はそれが故にこの動物が余り得意じゃないんです。これを機にちょっとは認識が変わるかな?今から話すのが楽しみです(^^)

※写真をクリックするとポップアップでナタリーがご覧になれます(^^)

まさかのアレルギー!

「マゼッパ」の舞台より今、リヨンのオペラ座は、チャイコフスキーの歌劇『 マゼッパ』の舞台稽古の最中です。先週の土曜日からは、第2幕と第3幕に登場する馬が2頭稽古に加わりましたが、それ以来、酷いアレルギー症状が出て困っています。
今迄、自分が馬にアレルギー があるなんて思ってみた事もなかったのですが、鼻水は出るわ、クシャミが止まらないわで、真面目な場面でクシャミが出ないように堪えるのに必死です。幸い、馬にアレルギーがあるのは僕1人では無いようなので、奇異な目を向けられる事はありませんが、これから先、2月初めに公演が終わるまでの間、ちょっぴり憂鬱です。
可愛い子達なのに...(;_;)

多忙の一週間

Chapelle de la Trinité今週一週間は結構大変でした。
所謂、「フェスティバル・ヤナーチェク」と題したヤナーチェクのオペラ3本の初日が立て続けにあり、しかも昨夜はブラームス、シューベルトのプログラムのコンサートがありました。
それでもオペラの場合、毎晩本番だと言っても歌手陣は出番が限られてるからまだ良いものの、オケ(特に弦楽器)は大変ですよね。特に3夜目の「マクロプロス事件」は技巧的にも難しいと楽員の方が言っておられました。
そして、大道具さん達も大変です。彼等のスケジュールを見ると驚いてしまうんですけど、本番終了直後に解体をして倉庫へ運び、翌日の舞台のセッティングをして、全てが終わるのはもう朝なんです!本当にご苦労様です。勿論、メトやドイツのもっと大きなオペラハウスでは、連夜違う演目が上演されるところもありますけど、リヨンみたいに中堅の劇場はスタッフの人員もそれほど多くないですからねぇ。安全第一で乗り切って欲しいです(^^;

昨夜は帰宅後なかなか眠れなかったので、コンサートを録音した2枚のミニディスクをPCに取り込みながら聴いてしまいました。勿論、自分のソロの部分はその後も何度も聴きました。反省と今後の為にも...(^^;

来シーズン

プログラム今日は12時半から来シーズンの予定について、ドルニ監督から正式に発表があった。
朝もマネージャーから携帯にショート・メッセージが送られてきたけれど、色々考えた末、結局行かなかった。もう既に演目は知っていたし、このところ深夜の帰宅が続いていて、しかも今夜も帰宅が深夜になることは避けられないから、せめて昼間にリハーサルのない今日ぐらいは少しゆっくり休養を取りたかったのだ。しかし、それにしてもこのPost-Itをあしらったデザインの趣味の悪さは一体どこから来るのだろうか?全80ページ近くある随所にPost-It風のイラストがあって、「これがオペラ・ ハウスのプログラム?」とちょっと情けなくなる。それに「国立」 "National" の文字は一体どこに隠れちゃったの?
そう言えば彼が赴任してからというもの、何故か「国立」の文字が表面から消えてしまった。今年は丁度国からの助成が受けられるかどうか、つまり、国立歌劇場と名乗れるかどうか大事な更新年で、国からは長期間に亘って調査官が派遣されている。だからこうしていつも「国立」の文字がない名称を見ていると、「もしや格下げになってしまったのでは?」と勘違いしてしまうのだ(^^;
もう一つ、今日行かなかった大事な理由を忘れていた。実は今年、僕も契約更新の年なのだ(!)。十中八九更新の筈なんだけど、自分の来シーズンの身の振りもまだ明らかじゃないのに、ホイホイと出掛けてはいられないのだ。嗚呼(TT)

待ち時間

オペラは演目によって、殆ど出ずっぱりの事もあればホントにちょっとしか出番がない物もある。
ヒマな待ち時間は本を読んだり、皆で話をして過ごしたり、バールに行って軽食をつまんだり等々、その時々、季節によっても違うけど、究極は出番が最初と最後だった時、一旦帰宅して夕食を摂った事さえある!
以前、ムソルグスキーの「ボリス・ゴドゥノフ」で端役を歌った時は、楽屋入りは開演と同時だったけれど、出番は終幕の最終場だったから、メイクが終わってから楽屋で4時間近くも待っていた事がある。お陰で本を何冊も読めたけど、あれははっきり言って苦痛だった。
今回のヤナーチェクの「マクロプロス事件」も終幕まで出番がないけど、こっちはオペラ自体が1時間40分と短いからまだマシだ。とは言え、リハーサルは何度もやり直したりするから、結局は時間が掛かってしまうんだけど...(^^;

Makropulos舞台裏で出番を待つ楽員達。

もうボロボロ

Chabrier来週24日(木)に初日を迎えるシャブリエの歌劇『いやいやながらの王様』( なんて酷い邦訳なんでしょう!) "Le roi malgré lui" は、音楽的には美しいかも知れないけれど、声楽的にはとても大変な曲です。それに加えて、第2幕の踊りが半端ではなく、息が上がって歌うのがとてもシンドイです。衣装も物凄く重いし、半端じゃないデッカイ襞襟が、人にぶつかると喉を直撃して「オェッ(@@)」となります。もうフィットネスなんて全く必要ありません!
それが今週は通し稽古、オケ合わせ、オケ付き通し稽古と毎日ビッシリでした。もう身体はボロボロです(;_:)
夜帰宅すると、身体中が痺れてる気がするんですけど、これって、最終警告じゃないですよね。コワッ(^^;
しかも、 ボロボロなのは僕だけじゃありません。謂わば、僕なんかちょっと風邪引いてますけど、まだマシな方かも知れません。火曜日には稽古中に一人突然倒れて、一時30分くらい中断しましたし、昨日もまた一人気分が悪くなってました。なんかヤバイっすよね(^^; この仕事って本当に体力勝負なんだって、痛感しちゃいます(T_T)
明日は休みなので、久し振りに朝寝坊して、一日ゆっくり充電したいなぁ

膝の手術

今週末リヨンのオペラ座で、ハイドンのオラトリオ『トビアの帰還』をウィリアム・ クリスティが指揮する事になっていたのですが、右膝の調子が悪くて急遽手術する事になり、本番は振れなくなってしまいました。あの感動的な去年の出会いから、ずっと楽しみにしていたのでとても残念です。クリスティに代わって本番は、彼のアシスタントの若い指揮者が振ることになり、先日、初リハーサルがありましたが、若い割には中々良かったです。やっぱり良い指揮者に付くと違うんですかね。クリスティは同コンサートの指揮はしないものの、代わりにチェンバロを弾くとの事ですが、サポートしてくれようとする姿勢が伺えてとても心強く、そして、とても嬉しいです。今日はこれからオケ合わせです。

「モスクワ」~ON AIR

昨日はリヨン近郊、今日はオペラ座と本番が続き、とても疲れました。そして、昨夜は「モスクワ」の放送があったので予定通り留守録しておいたのですが、毎度の事ながら、フランス人が配役を読み上げる時に、自分の名前を耳にするのはとても不思議な気がします。以前はまるで別人のような時もありましたが、それでも昨夜の場合は発音がまだ許容範囲内でした(笑)。兎に角、苗字はまだしも、名の方はフランス人にはとても難しいみたいですね。「H」 は基本的に発音しない、「E」 はアクセントがないと「エ」と発音しない、「U」 は「 ユ」に近い...。彼等が「HIDEFUMI」を一体どう読むか想像してみてください(^^;
「モスクワ」 の演奏は初日の録音でしたが、皆とても緊張しているのが良く分かりました。第1幕の終わり、音楽はもう最後の音まで終わっているのに幕が閉まるのが遅れてしまい、客席に一瞬沈黙があったり、、第3幕では仕掛け花火が、仕掛け通りに上がらず爆発したり等々、スタジオ録音では決して有り得ないハプニングも起こったりして、そこがライブ録音の醍醐味だとも思いますけどね...(笑)。

「モスクワ」終わった!

昨日は、ショスタコーヴィチのオペレッタ「モスクワ、チェリョームシュキ」の落日でした。新年という事もあって、終演後に総監督が出演者全員にシャンペンをご馳走してくれましたが、やっと終わったと言う安心感も手伝って、いつもにも増してとても美味しく感じました(^^)
また、フランス・ムジーク France Musique によるラジオの放送が今月15日(土)19時からに決まりました。でも生憎、その夜は仕事なので、留守録しなければなりません(-_-)

そして、今日はいつもの様に朝から1日仕事だったのでとても疲れました。せめて本番の翌日くらいはもう少し休ませて欲しいと思うんですけどね...。

初日

ショスタコーヴィチのオペレッタ『モスクワ、チェリョームシュキ』の初日が、17日(金)に無事開きました。
約1ヶ月半と言う長い期間、毎日付き合ってきた曲なので、一体何度聴いたか分かりません。もう皆すっかり耳ダコです。今夜は序曲が始まると、「これでやっと初日?」、「一体これ何回目だろう?」、「まだ初日開けてなかったっけ?」等々、仲間達が言っていました(笑)。
今回は演出家が演劇畑の人だったので、本当に細かいところまで演技が付けてあって、笑いもふんだんに入れている筈なのに、今夜はお客さんの反応が今一!
こう言うのって不思議なもので、こっちは毎回同じ演技しているのに、会場の雰囲気に波があって、その日によって反応が様々です。しかも、今夜に限らず初日はいつも招待客が多く、客席は満員にも拘らず、皆様お行儀が良くて、な~んか静かなのです(^^; さて、2日目以降はどうなるでしょう...。

写真は、第3幕フィナーレのカットで、オペラ座のカメラマンが撮影したものを拝借しました。3階の左から3番目が僕なんですけど、これじゃあ小さ過ぎて分かりませんね(^^;

Moscou第3幕フィナーレ

ショスタコーヴィチの唯一のオペレッタ『モスクワ、チェリョームシュキ』が、リヨンのオペラ座で12月にフランスで初めて上演されます。 歌はロシア語、セリフは仏語と言うちょっと異例な公演。
今回、僕の役は「タクシー・ドライバー」。歌のソロはなくてアンサンブルだけなんですが、暗譜が大変(@@) しかも、ちょっとだけセリフもあるのです!
今日は立ち稽古の初日だったんですが、物凄く緊張しました。喋るのってあんまり得意じゃないんですよ(^^;
正直言って、オペレッタってセリフがあるから苦手なんです。まっ、仕事なんでそうとばかりも言っていられないんですけどね...。明日は衣装合わせもありますが、せめて普通の「運ちゃん」が良いなぁ~。

暗譜

先週末、「助っ人を頼む!」と電話があった。「1曲だけでいいから...」と言うので、仕方なく引き受ける。そして昨日、「悪いんだけど、あと2曲...」と追加を強いられる。「ノー!」とは言えない身の辛さ...。
時間に割りと余裕がある、我ながら暗譜が早いとは言え...嗚呼、それさえなければ平穏な日々だった筈なのに...。

入試のバイト

今日の午後は、リヨン国立高等音楽院(CNSMD)の入学試験の手伝いに行った。
ここにはフランスでも珍しい合唱指揮のクラスがある。実はもう4年目になるのだけれど、週に1回、合唱指揮の室内合唱(小編成)の授業に手伝いに行っている。と言っても、オペラ座とのスケジュールの兼ね合いで、必ず毎週行けるわけではない。それでも初年度はだいぶ頑張ったけど、去年は数えるほどしか行けなかった。

この合唱指揮の入試は先週の金曜日から始まり、今朝が二次試験で、午後が三次試験。
僕が手伝ったのは三次試験で、この段階で既に8人に減っていた。とは言え、直前に発表された8曲の初見演奏、課題曲のバルトーク作曲「4つのスロヴァキア民謡」を8回(!)それぞれの解釈の指揮で歌わなければならなかった上に、最後に楽譜の間違い探し。僕達が数回歌っている間に、楽譜上の記載ミスを見つけると言うもの。
途中、たった10分の休憩があっただけで、4時間にも及ぶ試験の後は喉も身体もヘトヘトだった。でも、受験者はもっと大変な筈だ。なぜなら、更に今夜は四次試験、明日は最終試験があるのだから...。
一体、あの中の何人が入学出来るのだろうか?いずれ授業で確認出来る事なのだけれど...う~む、今年度は何回行けるかなぁ~。

コンサートの写真

去る8月8日に、宮城県古川市にある「パレットおおさき」で、「アリアと愛のデュオ」と題して開催したコンサートの写真をマイフォトにアップしました。
当日撮影したビデオからのキャプチャなので、余り鮮明ではありませんが、その点ご了承ください。

コンサートの写真 クリックでスライド・ショウが始まりま~す!

伴奏合わせ

今日は第一回目の伴奏合わせでした。ピアニストの方は今回初めてお会いするので、色々と思いを巡らしていましたが、予想以上に上手な方だったので一安心。今迄幾度となく伴奏ピアニストには泣かされて来たので、短期間で準備する今回の様なコンサートでは、大変助かります。
今日は初回だったので、細かいタイミングの打ち合わせで時間が掛かってしまいましたが、次回はもう少しスムーズに行くと思います。

お疲れ様でした!

今日は本番終了後、今シーズン限りで引退するお二人を祝う会がありました。昔話や、引退後はどうするのかと言う質問に花が咲き、とても楽しい一時でした。
お一人は僕と同じテノールで38年間、、もうお一人はメゾ・ソプラノで32年間ものあいだリヨン歌劇場の舞台を支えて来られた方です。
リヨンはその勤続年数によって、功労賞としてメダルと金一封が贈られます。20年目が銀メダル、30年目が金めっきの銀メダル、そして38年目に金メダルです。テノールの彼は、ほんの数ヶ月足らない為に金メダルが貰えないと悔しがっていました。
僕が彼らとリヨン歌劇場で過ごしたのは、たったの6年でしたけど、休憩時間や出番を待つ舞台袖で、オペラが全盛だった頃の話をあれこれ聞くのがとても好きでした。それがもうすぐ聞けなくなると思うと、とても残念でなりません。でも、いつかは誰でもこの日が訪れる訳ですから仕方ありませんね。
本当にお二人ともお疲れ様でした!

オーディションの結果

記事に書こうか書くまいか凄く迷いました。はっきり言ってあんまりカッコのいい事じゃないと思うんです。でも、応援してくださった皆様の為に敢えて報告します。
オーディションは昨日29日の朝10時半からありました。前夜は本番があって帰宅したのは午前0時過ぎ。途中、舞台変換にトラブルがあっていつもより終演が遅かったんです。
僕は前夜の疲れもまだ抜けない7時半に起きました。娘がいる時は幼稚園に行く為、この時間に起きます。9時を回らないと発声練習も出来ないので、兎に角、身体を起こさなければなりません。それも無理矢理。
更に昨日はTCL(リヨン交通網)のストがあって、10~15時半までの間混雑が予想されました。はっきり言って最悪の条件!
劇場に着いたのはストを避ける為、9時50分頃です。もう既に来て発声練習をしている方もいました。そして会う方皆口々に「今日だけは避けて欲しかった。どうして本番の翌朝なんかに、オーディションを...」とぼやいてました。特にソプラノとテノールは音が高いので、早朝は大変なのです。

今回は現代曲なので、他の皆さんの中には音がちゃんと取れてない方もいらっしゃいましたけど、僕は我ながら完璧に歌えたと思います。現代曲だからどうのと言う偏見や難易度はまるで気になりません。僕が一番最初にプロとして仕事を始めた時も新作でしたし、今迄にも結構歌っています。勿論、一番好きなのはイタリア・オペラですけど...。
審査員のお一人の偉い方が「プッチーニじゃないんだから、もっとリズム出して!」と仰いました。僕は一瞬あっけに取られましたね。だってそんな何拍子だとか何拍だとかモロ分かるように歌うのって...仮にもベル・カントを習得した者としては、とても馬鹿げたご意見に聞こえました。だって、歌はレガートが命です。そんな拍子が分かるような歌い方は恥ずかしい行為です。ま、一応ご希望にお応えして歌いましたけど...

結果はなぜか駄目でしたね。脇で聴いていた方々も皆不思議がってました。僕にもさっぱり分からないですけど、全然音も取れてない声も出てない方が通りました。
こんな悪条件下でしたから、他の声種には来なかった方も沢山いましたが、劇場側はその来なかった方々に期待していらした様です。そして、近々その方々をお聴きになるそうです。
全く馬鹿らしい話です。それならそうと最初に誰々を聴きたいと指名してしまえば、こんな息が詰まるような思いをして毎日を過ごさなくても良かったのに...。次のオーディションもやっぱり同じですかねぇ、いい加減もう馬鹿らしくてやってられない感じです...。

余談ですが、某歌劇場の総監督が新聞のインタビューで、こんな事を言ってらっしゃいました。
「私はプッチーニが嫌いなんだよ、お客が入るから仕方なく上演するんだけどね...」

コンサートのお知らせ

concertもう既に僕のHP等でご覧になってご存知の方もいらっしゃると思いますが、この夏、日本で妻と一緒にコンサートを行います。
場所は宮城県古川市の「パレットおおさき」と言う多目的ホールです。何を隠そう古川市は僕の出身地で、高校を卒業するまでここで過ごしました。
だいぶ前になりますが、文化庁の芸術鑑賞教室の仕事で、藤原歌劇団と共に日本中を巡った事がありますが、その時はどういう訳か宮城県だけはキャンセルとなり、同県での僕の演奏は今回が初めてになります。今回のコンサートは多くの方々のご協力を得て、実現の運びとなりました。
プログラムにはオペラ・アリアを始め、二重唱、イタリア歌曲、日本歌曲、カンツォーネ等を予定しています。もし、このBLOGをご覧の方で興味がおありの方は、前売り券の発売が開始されておりますので、下記までお問い合わせください。

日時 : 2004年8月8日(日) 14:00開演
場所 : 宮城県古川市「パレットおおさき」
前売り券 : 3,000円(一般)、2,000円(高校生以下)
お問い合わせ : TEL.0229-23-5142

衣装合わせ

先日、ヴェルディの「ファルスタッフ」の衣装合わせの時に "Lyon Capitale" という新聞の取材を受けた。残念ながら新聞に僕の姿は載らなかったけど、もし載っていたとしても着たり脱いだりのあられもない格好だったから、その方が良かったと思う。
今回の衣装は、20年前にイギリスのカーディフで公演された時のもので、生地や仕立ても最近のものと比べるとかなり豪奢だ。15世紀イギリスのヘンリー1世の頃のスタイルなので、首に円形のひだ襟があって、まるでフランシスコ・ザビエルの様。
昨日は、手直し後の2度目の合わせだった。直したのは袖の長さと背中周り等。西洋人はベッドの生活が長いからなのか、それとも遺伝なのか、日本人と比べると背中が出っ張っている人が多いので、手直しをしないとかなり背中がブカブカになってしまう。
時を経て、自分の知らない誰かと同じ衣装を身につけるのは、何かとても不思議な感じがする...。

Costumes新聞に載った写真。僕は向かって左端のマネキンのすぐ後ろにいた。

オーディション

この歳になって、流石にもうコンクールは受けなくなったけれど、職業柄幾つになっても避けては通れないものにオーディションがある。今年もそろそろ来シーズンの為に、その次期がやって来た。
もう既に主役は決まっていても、脇役、端役となると比較的後回しにされる事がよくある。しかも、一旦劇場と言う組織の中に入ってしまうと、回ってくるのは後者の方だ。
オーディションで歌わなければならない部分の楽譜を渡され、譜読み、ピアニストとのリハーサル、また、アンサンブルの場合には、該当する他のパートの人とも一緒にリハーサルを繰り返して、来たるべき日まで体調に気を遣いながら過ごさなければならない。憂鬱な日々の始まりだ...。

エドワード?

Edward「是非写真を見てみたい」と言うご意見をチラホラ頂いたので、日曜日迄の期間限定で写真を掲載します。日によってメイクがちょっとずつ違うし(メイクさんが3人います)、なにしろ元が僕ですから、決して「シザーハンズ」のジョニー・デップに似てるとは言いません。あくまでも雰囲気ですからね。
因みに、娘に聞いたら誰だか分からないと言われました(笑)。

※追記 5月9日
掲載していた写真を本物のエドワードと入れ替えました。僕の写真にコメントをくださった方々どうも有り難うございました。

シザーハンズ!?

もう日付が変わってしまったけど、日曜の夜はラモーの「レ・ボレアード」 Les Boréades の初めての通し稽古があった。
ラモーはフランスのバロック・オペラの頂点と言われる。「レ・ボレアード」は彼の死の直前81歳(当時としてはかなりの長生きだったらしい)、1763年の作品で通算29作目のオペラだそうだ。
僕が楽屋入りしたのは19時30分。メイクや髪形を整えていくうちに、どこかで見たことのある容貌に変わっていく自分に気付いた。1990年のティム・バートン監督作品に「シザーハンズ」という映画があったけど、まるでジョニー・デップ演ずる主人公エドワードにそっくりだった。
通し稽古の方はと言うと、当然予想していたことではあったけど、かなりのハプニングがあった。衣装の裾を踏ん付けて転びそうになったり、回り舞台が思うように回らなかったり、そうかと思うと回り過ぎて舞台に出れなかったり、第3幕から第4幕への転換は、導入の音楽の方が先に終わってしまって幕が上がらなかったり等々。挙げればキリがないのだけど、でも、云わばこういう事の為にリハーサルをしている訳だから仕方がないのだ。
途中で何度も中断して、結局、終わったら予定通り午前零時。日曜日だったこともあって、バスの本数も平日より少なくて危うく最終を逃すところだった。

ウィリアム・クリスティ

フランス古楽界の中心人物であり、レザール・フロリサン Les Arts Florissants の創設者、音楽監督としても知られるウィリアム・クリスティと初めて仕事をする機会があった。
ニューヨーク州生まれの彼、流石、イギリス英語を学んだだけあって米語訛りのない奇麗な英語を話す。勿論、フランス語も出来るから仕事には支障はないのだけれど、パーセルやヘンデル等をやる上では、とても重要な事なのだ。
今回のプログラムはパーセルの「妖精の女王」 The Fairy Queen とラモーの「優雅なインドの国々」 Les Indes galantes からの抜粋。
今日のリハーサルの前、チェンバロが調律されていなくて少しばかり機嫌を損ねていたが、午前中だけピアノで代用する事で承諾してくれた。いざリハーサルが始まると、もう大家の域に入った指揮者だけあって、とても落ち着いた印象を受けた。そして先に進むにつれて、何よりも丁寧、純粋に音楽を楽しむ為に仕事をしているのが良く分かった。他の皆もいつも以上に集中しているのが伝わってきて、終始ストレスのないとても充実したリハーサルだった。あ~あいつもこうなら良いのに!現実は彼の様な指揮者ばかりではないので...。

旧ユーゴ崩壊の頃

Santa Maria Maggiore前回に続いて、今回も思い出話。ベルリンの壁崩壊以降、東欧諸国のあちこちで体制変動への影響があったのは周知の通り。旧ユーゴスラビアも多民族国家として独立を巡り、最後は泥沼化していった。
あれは1992年の12月、現在のクロアチア共和国へ行かなければならなかった事がある。それも出発の前日迄まるで知らなかった。ユーゴってどうなったのかどうか良く知らなかったし、ビザはどうだった?とかとても焦った。当時はまだインターネットのイの字もない頃。頼りになるのは「地球の歩き方」一つだった。それも手元にあったのは何年も前のやつ。一応、ビザは要らないと言う事が書いてあったけど旧ユーゴの話。幸い領事館の資料の中に、同国への「ビザ免除」の文字を発見しホッとした。
トリエステでヘンデル「メサイア」のソロを歌う事になっていたが、オーケストラと合唱をクロアチア共和国のリエーカ市立歌劇場が受け持つ事に。でも楽員の出入国ビザが1度で済む様に、リハーサルは同劇場で行う事になっていたのだ。
指揮者、オルガン奏者、他の3人のソリストは全員イタリア人。それに日本人の僕が混じって、某日ミラノを早朝に発ったが、殆ど一日中列車に揺られて、トリエステに着いたのは夕方5時半頃。そこからは主催者側の用意したマイクロバスでの移動だった。まだまだ目的地は遠かった。 第一の難関はイタリアとスロベニア共和国との国境。イタリアから陸路でクロアチア共和国へ行く為には、先ずスロベニア共和国がある。そんなこと僕は知る筈もなく、スロベニア共和国の事を調べなかったので、一抹の不安がよぎる。でも結局は別に問題もなく入国。
スロベニア共和国に入って初めにしたのはガソリンの給油。当時イタリアはヨーロッパで一番ガソリンが高い事で有名だった(今はどうなんだろう?)。もう辺りは大分暗くなってきていたけど、車窓から道端のあちこちに戦争の残骸が見えた。
第二の難関はスロベニア共和国とクロアチア共和国の国境。森の中、いつしか降り始めた雨で視界が悪い。機関銃を構えた兵士が両国側にいて、別に後ろめたい事は何もないのにとても緊張した。
クロアチアでの内戦が激しかった割に、リエーカはその被害を殆ど受けず綺麗だった。昔、ローマ帝国が栄えた頃、この辺はイタリア領だった事がある。イタリア人は今もイタリア名「フィウーメ」と呼んでいる、クロアチア第2の都市、また最も重要な港町だ。
僕達はリエーカで一番のホテルで二日間を過ごす事になった。海の幸をふんだんに使った豪華な食事が、毎回振舞われた(V.I.P.気分!)。
翌日、劇場に行くと、驚いた事に日本語を流暢に話すザグレブ出身のバイオリニストに出会った。聞くところによると日本に数年住んでいた事があるとか…。その上、日本で共通の知り合いがいた事にとても驚いた。
トリエステも素敵な町だった。ビザンチンの影響かイタリアなのにどこかオリエントの香りがして、不思議な雰囲気が漂う町。他の地方に住むイタリア人達の中にもトリエステは綺麗だと言う人が多い。コンサートは聖母マリア教会で盛大に行われた。楽員たちの演奏も素晴らしかった。

「統一ドイツ誕生」の時

ベルリンの壁が崩壊してから数えると、もう15年になりますね。当時、僕はイタリアに住んでましたけど、あの時は確か旧西ドイツのフルダと言う都市の宮廷劇場でプッチーニの「蝶々夫人」に出演中でした。統一が宣言された翌朝、テレビのニュースで壁崩壊の映像が再び流れ「うわっ、今度は何?」と思ったのを覚えてます。
翌年2月に旧東ドイツ領内のヘムニッツ市民劇場やワイマール国民劇場等で歌った時、西と比べて随分違うなあと思いました。物価も比べ物にならない位まだ安かったし、道行く自動車もシュコーダやラダとかの旧式のものが殆どで数も少なかった。建物なんか第二次大戦の時にうけた砲弾の跡が残ってる所が結構あって驚きました。
その代わり東には馬蹄形の綺麗な劇場が沢山ありました。入場料も安かったし、いつも客席は一杯でオペラ本来の「皆の為の娯楽」がちゃんと成り立ってた。しかしその後、物価の上昇と共に幾つかの劇場が閉鎖に追い込まれたと言う事を知り、とても悲しかったです。

National Theaterワイマール国民劇場。ゲーテとシラーの銅像が印象的

前回の演奏会から昨日、17日の20時45分から「ヨハネ受難曲」の本番だった。午後に劇場で他のリハーサルがあったので、あまり歌い過ぎない様に気を付け、発声練習のつもりで臨む。どちらかと言えば声の調子は良かった。 本番が始まってしばらくは別にいつもと変わらなかったが、1曲目のアリアを歌っている途中、突然眩暈に襲われ、終わると同時に半ば崩れるように席に戻った。「第一部と第二部との間に休憩はない」と一昨日のG.P.の時に告げられたが、それがもろ仇となった感じ。ここから2曲目のアリア迄の間は15分程、冷や汗と吐き気との闘いだった。
何とか気を取り直して2曲目のアリアを歌い始めたが、目の焦点は合わず足元がふら付き、ついに間奏の途中で平衡感覚を失い、オーケストラ楽員の間に崩れ落ちた(会場からざわめきの様な声!)。それでも椅子の背もたれに掴まり、長大なアリアを歌い終えた。そしてまた冷や汗と吐き気との闘い。まだもう1曲ある…。
本番終了後、皆から祝福の声を浴びた。それに混じって「流石、テノールのパフォーマンスは凄いね!」なんて言う輩もいたけど…。本番で倒れそうになるなんて初めてだった。自分でも一体どうしてこんな事になってしまったのか見当も付かない。明日の本番は気を付けねば…。皆さんご迷惑お掛けしました!

こんなはずでは!

ハリネズミ今迄僕が演じてきた役を振り返ってみる。主役級のものは別として、問題はそれ以外だ。「ハリネズミ」、「牝牛」、「おばさん女中」、「浮浪者」、「日本人カメラマン」(これは仕方ない?)等々、間違っても「今度本番見に来てね!」と人には言えない(言いたくない)役ばかり。本番後も人目を避ける様に劇場からそそくさと家路に着く。はっきり言って恥ずかしい。オペラって色んな人が集まって出来上がってるのは良く知ってるし、こんな役だって誰かがやらなければならないのだと言う事は分かっているけど、しかし、どうして必ずと言って良いほど僕にこの手の役が回ってくるのだろうか?もうちょっとマトモな役やりたいなぁ~!

ヨハネ受難曲(2)

Basilique de Fourvière今夜は「ヨハネ受難曲」のオケ合わせでした。今迄のピアノとのリハーサルと違って、オーケストラの楽員と合唱団の人達に挟まれて、とてもプレッシャー感じました。ついでに場所も今夜からコンサートの行われるリヨンのフルヴィエール大聖堂でした。明日はG.P.だけど、もうちょっと落ち着いて歌えたらいいなあと思います…。

ディスコグラフィー

スターバト・マーテル自己CDは現在2タイトルあります。1タイトル目は1992年の9月にイタリアの「SAM」と言うプライベート・レーベルからリリースされました。コンクールに入賞した時の副賞で、コンクールの最終日に行われたコンサートのライブ録音です。あの頃、余り調子が良くなかった上に、連日の緊張に次ぐ緊張で心身共にボロボロでした。
2タイトル目は1994年10月にイタリアの「Nuova-Era」と言うレーベルからリリースされた、ダストルガの「スターバト・マーテル」のソロを歌ったものです。この時、発売記念のコンサートもローマで行いました。以前、日本に一時帰国した際にWAVEで見つけて、1枚母にプレゼントした記憶があります。残念ながら現在は在庫切れだそうです。その後、もう1枚予定がありましたが(一応、レコーディングも行なった)、音楽的な意見の相違から指揮者と仲違いしてしまい実現しませんでした。

日曜出勤

Cathédrale Ste Réparate de Nice職業柄、日曜出勤はよくある。日曜だけではなく祝日も同じだ。今日は午後4時からの本番だった。演目にもよるが大体この時間。それにたまにG.P.(総稽古)が夜あることもある。
以前は朝10時から「日曜ミサ」で歌ったことも何度かある。ラジオの中継が入ったりすると、もう6時前から目が覚めて超プレッシャーで生きた心地がしなかった。我ながら結構気が小さいのだ。

ヨハネ受難曲

2月の末、バッハの「ヨハネ受難曲」の演奏会に出演依頼を受けた。指揮者との第2回目の稽古の筈だった3月2日、朝から余り声の調子が良くなかった。
約束の時間より少し早く着いた僕は、コーヒーを飲み少しでも落ち着こうとした。約束の時間を5分くらい過ぎた頃、指揮者が現れた。一通りの挨拶が終わり話し込んでいるうちに、ふと、まだピアニストが来ていない事に気が付いた。もうかれこれ15分程経っていたので指揮者が電話すると、彼女(ピアニスト)はまだ自宅にいた。ちゃんと確認した筈だったのに、稽古の日にちを一週間間違えていたのだ。開いた口が塞がらなかった我々二人。すっぽかされて困った顔の指揮者と、渡りに船の僕であった・・・。

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