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ニース旅行 '11

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ニース旅行 '11今年の夏休みの家族旅行はニースへ行きました。
ニースは、僕がオペラ座と契約を結びフランスで一番最初に住んだ町であり、娘が生まれた町でもあります。娘が生まれた1999年の夏にリヨンに引っ越してしまいましたが、その後、娘が2歳3ヶ月の夏に一度家族で訪れています。ところが娘はまだ幼かった所為かその時の事は何も憶えていないとの事。今回はあれから丁度10年振りの訪問で、所謂、彼女の「ルーツ」を辿る旅でもありました。
娘が生まれた病院、住んでいたアパート、港、旧市街、大聖堂、海岸等々、兎に角、家内も僕もとても久し振りなので、懐かしくて仕方がありませんでした。町並等が殆ど変わらない中、唯一の大きな違いは市内をトラムウェイが走っていた事でしょうか。3年ほど前に1路線が営業を開始したそうですが、工事中は騒音や土埃等がとても凄くて大変だったと、久し振りに再会した友人が言っていました。

今回は4泊5日という日程でしたが、天気予報とは裏腹に連日30℃を超す好天に恵まれ、ニースに夜到着した初日以外は毎日海水浴に行きました。また土日には、マチスの礼拝堂があるヴァンスまで足を伸ばしたり、ニースの隣町ヴィルフランシュ・シュル・メールへ海水浴に行ったりもしました。ヴィルフランシュの浜は、ニースのゴツゴツとした砂利浜と違って、砂浜のようにとても粒が細かいので足の裏に優しかったです(笑)。

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ジュネーヴ旅行 '11

昨日はスイスのジュネーヴへ行って来ました。
僕はこれまでジュネーヴには仕事で数回行った事があるんですけど、家内と娘は昨日が初めての訪問。昨日のジュネーヴは、日中最高気温が20℃位までしか上がりませんでしたが、とても良い天気に恵まれ絶好の遠足日和でした(^^)

国際連合欧州本部を始め、世界保健期間、世界貿易機関、世界気象機関、赤十字国際委員会等々、各種国際機関が数多く集中し、各国の高級官僚や政治家が集う町であるジュネーヴの歴史は古く、シーザーの「ガリア戦記」の中にはジェヌア Genua という名で登場しています。
また、16世紀には宗教改革に伴いカトリックからプロテスタントに改宗、カルヴァンが説教をし宗教改革の理念を諸国に広める活動を行いました。その為、ジュネーヴは「プロテスタントのローマ」とも称されます。

昨日は、先ず、遊覧船でレマン湖周遊! 湖上から高さ140mにも達する有名な大噴水、レマンの人魚像、アイゼンハワー、レーガン米大統領、ゴルバチョフ書記長が泊まった家、レーニンの家、ナポレオン1世がジョゼフィーヌ妃に贈った家、ロスチャイルド家の邸宅等々、国際都市ジュネーヴならではの様々な建造物、モニュメントを見ることが出来ます。
遊覧船を降りてから、1898年9月10日にこの地で暗殺されたエリザベート妃の銅像(写真下)の前で記念撮影。続いて、国連欧州本部へ。と言っても内部に入るのが目的ではなく、「大砲の砲身を曲げたオブジェ」と、「地雷撲滅を訴える椅子のオブジェ」を観る為でした。

ジュネーヴ旅行 '11

ランチの後は、旧市街を中心に観光。カルヴァンが本拠とした聖ピエール大聖堂、旧兵器庫、市庁舎の後ろの公園にあるギネスブックにも載っている(元)世界一長いベンチ、作曲家フランツ・リストが住んだ家、イギリス公園の花時計等々、見所が沢山あります。
ピカソ、シャガール、セザンヌ、藤田嗣治らの作品を所蔵するプティ・パレ現代美術館が、無期限休館状態だったのがとても残念でした。

たった一日の観光だったので、敢えて行かなかった所、また、見落としてしまった所も多々ありました。でも、娘なんかはユーロと違う通貨に触れる事も出来て、違った意味で面白がっていたようです。

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ランスへの旅

昨日は、フランス北部シャンパーニュ=アルデンヌ地方最大の都市ランスへ行って来ました。
リヨンからランスは、TGVを使うとパリ乗換えで片道2時間45分かかります。朝7時半にリヨンを出発して帰宅したのは22時過ぎでしたが、パリでは発着駅が違うので待ち合わせ時間を利用してちょっぴりパリでも遊んで来ました(^^)V

因みに、ロッシーニの歌劇に「ランスへの旅」という作品がありますが、このオペラのあらすじは、「1825年5月にランスの大聖堂で行われたシャルル10世聖別式の前日に、フランスの保養地プロムピエールにあるホテル『黄金の百合』に集まったヨーロッパ各国の名士達が、フランス王家の栄光を称える」という内容です。

ランス大聖堂正面ランスにはフランク王国の国王クロヴィスが同市にあるサン・レミ教会で洗礼を受け大聖堂で戴冠式を行って以来、歴代フランス王が戴冠式を行ったという歴史があります。隣接するトー宮殿、サン・レミ教会と共に1991年にユネスコ世界遺産に登録されたランス大聖堂は、シャルトル大聖堂やアミアン大聖堂と並び、フランス国内におけるゴシック様式の傑作の一つと称されています(クリック拡大)。
また、1959年10月に藤田氏が君代夫人と共にカトリックに改宗し洗礼を受けた際、洗礼親だったのは当時シャンパンメーカーMumm社の社長であったルネ・ラルー氏だったそうです。

ランス大聖堂中央扉口左「微笑みの天使」として広く知られる彫像は左扉口左にありますが、現在は修復中で残念ながら見ることが出来ませんでしたが、中央扉口左(写真)には、「受胎告知」(向かって左側2体)と「マリアのエリザベト訪問」の彫像があります。写真に向かって左端にあるのが大天使ガブリエルの彫像ですが、よく見るとこの彫像も微笑んでいるようです(クリック拡大)。

シャガール作のステンドグラス第一次世界大戦の爆撃を受けて彫像やステンドガラスの半数以上を失った大聖堂は、その後に行われた大修復工事の末、1974年にはシャガール作のステンドグラスが正面一番奥に配されました(クリック拡大)。

フジタ礼拝堂今回の旅行の最大の目的であったフジタ礼拝堂。堂内は写真撮影禁止なので、撮ったのは藤田氏自身が設計と全ての装飾を手掛けたネオロマネスク様式の外観だけですが(クリック拡大)、内部には藤田氏が80歳の時に癌に蝕まれながらたったの3ヶ月で描き上げたフレスコ画、彼自身がデザインしたステンドグラスがあり、その偉業は正に奇跡としか言いようがありません。
礼拝堂に入って、正面にある「平和の聖母」の中には君代夫人、入り口上の「キリスト磔刑図」の中には跪くルネ・ラルー氏と藤田氏の自画像がちゃっかりと描かれています。また藤田氏の視点で描かれた「旧約聖書」の「天地創造」や「アダムとイヴ」、「ノアの箱船」や、戦争の悲惨さを表した広島がテーマのステンドグラスから騙し絵に至るまで、約1時間に亘って受付のおじさんが1つ1つ丁寧に説明をしてくれました。感謝!
現在、藤田氏は昨年亡くなった君代夫人と共に、自身の洗礼名でありフランス名でもある“レオナール”の本となった、レオナルド・ダ・ヴィンチへのオマージュとして描かれた『最後の晩餐』の絵の下に眠っています。

ご当地ドロップス!?

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JRのお土産品コーナーに地域の特産物に混じって置いてあったご当地ドロップスの缶。写真に向かって左から、「牛タン風」、「ずんだもち風」、「フカヒレ姿煮風」、「笹かま風」、「焼き牡蠣風」の5種類が並んでいましたが、これはかなり衝撃でした。以前帰った時に見かけたお菓子よりも凄いです。ご当地ってことは...?と思いネットで検索したら、全国に強豪が存在するみたいで更に驚きました(^^;

ご当地ドロップス!?

鳴子温泉

鳴子温泉2月20~21日は、高校時代の合唱団のメンバーと鳴子温泉に一泊しました。
中には卒業以来会っていないとしきりに言うM君もいましたが、他の人達にしても殆どが前回のコンサートの時以来に会う顔ぶれだったので、約6年振りの再会でした。しかし、そんな空白の時間なんかなかったかの様に打ち解けられるのは、何とも不思議なものです。とは言っても、昔皆で歌った男声合唱のレパートリーは、僕だけが歌詞を覚えてなくてちょっぴり悔しかったですけどね(^^;
鳴子温泉は、祖父母が生前まだ元気だった頃(つまり、僕がまだ幼かった頃)によく行った場所。今でこそ市町村合併で、古川と同じ大崎市の一部になってしまいましたが、町そのものは昔のままの佇まいを残すところが多く、そういった意味でもとても懐かしかったです。

21日の朝、解散間際に、「じゃあ次は○月○日、Yが幹事で...」って次の予定を決めている様子を見て、負けたと思いました。彼等はこうして結構頻繁に会っているそうで、それなら歌詞も忘れまいと思ったからです(笑)。

※写真は旅館のホームページから拝借しました。

奇跡の広場

ピサの斜塔旅行の最終日はピサに行きました。
20世紀初頭のイタリアの詩人ガブリエレ・ダンヌンツィオが、「奇跡の広場」 "Piazza dei Miracoli" と賛嘆したドゥオーモ広場" Piazza del Duomo" は、世界遺産にも指定されている観光スポットです。ここには大聖堂、洗礼堂、墓所回廊と、中世に於ける世界七不思議にも数えられる鐘楼、「ピサの斜塔」 "Torre pendente" があります。
古代から海洋国家として発展してきたピサの歴史はとても古く、中世には地中海貿易の重要な地点として、また、1060年にジェノヴァとの初めての戦いに勝利したことで、地中海での地位を揺るぎないものとしました。
その最盛期に当たる12世紀(1173年)から建造が始まった鐘楼は、第3層(地上10m)が出来上がった時には既に傾斜が始まったそうです。その為、工事は一時中断され、第二工期は傾斜の修正をしながら行われましたが、完全に修正出来なかった為に第三工期では、最上層は地面に対して垂直に立てられたそうです。こうして約199年もの年月をかけて1372年に出来上がった鐘楼は、ピサ観光局の資料によると、基礎からの高さは58.36mですが、地面からの高さは55mと言う事なので、3.36m沈下してしまった事になります。しかし、当初の建築計画では現在のものよりも遥かに高くなる予定だったと言う事ですから、建設に使用された大理石の総重量もさる事ながら、如何に不安定な地盤に建てられたのかが分かる気がしますね(詳細はWikipedia "ピサの斜塔"参照)。

20世紀に入り傾斜克服の為の様々な策が施されましたが、1990年1月7日、安全上の問題から公開を休止し、ついに大々的な改修作業が行われる事になりました。僕が初めてピサを訪れたのは同年3月の事でしたから、当然、その時にはもう登る事は出来なかったわけです。

斜塔からの眺め2001年6月16日、約10年に及ぶ作業の末、公開が再開されました。
こうして生まれて初めてピサの斜塔に登るチャンスが得られた訳ですが、チケットはやはり事前にネットで予約購入していたので、決められた時間にスムーズに登る事が出来ました。
現在の傾斜角は3.97度。階段は293段(観光局公称)あります。
チケット・オフィスでもらうパンフレットには注意事項として、「心臓疾患のある方をはじめ、健康に自信がない方には決してお奨めできません」、「目まいに襲われやすい方にはお奨めできません」等の記載があり、病み上がりで、しかも高所恐怖症の僕に釘をさしている様でした(笑)。また、階段を登っている途中、係員の一人がうっかり、「こんなにいっぺんに登らしちゃって大丈夫かよ」と言った一言が耳に入ってしまい、一瞬、ギョッとしました。本来は30分毎に20~30人のグループに分かれての見学となる筈ですが、登るグループは30分毎に登り始めるけれど、降りるグループの方は必ずしも30分で見学を終えて降りてくる訳じゃないから、そのタイミングが悪ければ一度に塔内にいてもいい定員を超える事になってしまうわけでしょう?
結果、我が家は第7層目が限界(鐘がある部分)でした。あんなに張り切っていた娘でさえ、とても怯えていた様子。その手を引く僕はもっと怖くて、手摺り(写真手前)からもう一方の手が離せませんでした(@@;

ルネッサンスの至宝

メディチ家と共にイタリア・ルネッサンス期を中心に栄えたフィレンツェは、ダンテ、ボッカッチョ、ボッティチェッリ、ミケランジェロ、ダ・ヴィンチ等の偉大な芸術家を輩出した町であり、他にガリレオ、フラ・アンジェリコ、リッピ父子、ヴァザーリ、ラファエロ等に縁の深い町でもあります。
ここには1296年から約175年の歳月をかけて建設された、ドゥーモ「花の聖母大聖堂」 "Cattedrale Santa maria del Fiore" を初めとして、ジョットの鐘楼、洗礼堂、ピッティ宮殿、ヴェッキオ宮殿、ウッフィーツィ美術館、アカデミア美術館、サン・ロレンツォ教会、メディチ家礼拝堂、サンタ・クローチェ教会、サン・マルコ教会、サンタ・マリア・ノヴェッラ教会等々、見所が沢山あります。
今回の旅行は、ルネッサンス絵画の傑作を観て回るのが主な目的でしたが、事前にネットで予約をしてから行ったので、いずれも長蛇の列に並ぶ事なく観る事が出来ました。とりわけ、フィリッポ・リッピ「聖母子と二天使」、ラファエロ「小椅子の聖母」「大公の聖母」、ダ・ヴィンチ「受胎告知」、フラ・アンジェリコ「受胎告知」はとても感動しました。
また、以前このブログでも取り上げたティツィアーノ「ウルビーノのヴィーナス」は、妻と娘は日本に一時帰国した際に国立西洋美術館で既に観ていましたが、僕は本物を観るのは今回が初めて。嬉しいのに加えて妙な懐かしさが加わって、思わず笑いがこみ上げてしまいました(^^)

多々ある心残りの中で特に残念に思ったのは、フィレンツェ名物のTボーン・ステーキ "Bistecca alla Fiorentina" を食べられなかった事。どこのレストランでも注文は1kg以上(!)で、 妻と娘は暑くて余り食欲がない上に、娘は肉より魚派。二人共前菜と1皿目だけで殆どお腹が一杯になってしまい、デザートの分しか入る隙間がないと言う有り様だったんです。いくら何でも僕一人で1kgは無理ですから...(^^;

※写真をクリックするとスライド・ショウが始まります。

フィレンツェ旅行 '09

花の都フィレンツェ

この夏の旅行は、花の都フィレンツェ、そしてピサに行って参りました。
中世からルネサンス期にかけてヨーロッパの商業・金融の重要な中心地のひとつとして栄え、美術、建築の傑作が数多く残るフィレンツェには、今もルネッサンスの華やかな雰囲気が漂っています。また、3世紀以上に亘って、フィレンツェ・ルネサンスに於いて実質的な支配者として君臨したメディチ家の紋章(百合の花と丸薬)も町のあちこちで見かける事が出来ます。

Ponte Vecchio

写真は、町を東西に流れるアルノ川に掛かるフィレンツェ最古の橋「ヴェッキオ橋」 "Ponte Vecchio" で、ここには貴金属・宝石店が軒を並べています。また、一番上の階層には、メディチ家の一族が市内を安全に通行出来るようにと、16世紀の画家であり建築家のジョルジョ・ヴァザーリにより1565年に建造された、“秘密の抜け道” ヴァザーリの回廊 "Corridoio Vasariano" と呼ばれる、町の南側にあるピッティ宮殿から北側にあるヴェッキオ宮殿まで結ばれた回廊が続いています。

最後にフィレンツェを訪れたのは1992年の事。その後、妻の仕事(「リゴレット」のジルダ役)で行くチャンスはあったのですが、提示された条件に納得出来ず断ってしまったので、今回はナント17年振りの訪問でした。
フィレンツェはいつ行っても人がいっぱいですけど、いや~、それにしても連日35℃を超す暑さでちょっぴりバテバテでした(^^; 次回はスライド・ショウをアップする予定で~す!

ヴェネツィアのお土産

ヴェネツィアで買ってきたお土産の紹介です。

ヴェネツィアのお土産1ムラノ島のガラス工房を訪問した時に買いました。とても鮮やかな色使いが目を惹きます。

ヴェネツィアのお土産2こちらはペン先まで全部ガラスで出来たペン。書き味の方もなかなかです。写真をクリックすると、娘がこのペンを使って描いた絵がポップアップで表示されます。

ヴェネツィアのお土産3ヴェネツィアと言えば、カーニヴァルのマスクも有名ですよね。色んな物がありましたが、娘の希望でやっぱり猫になりました(^^;

ヴェネツィアのお土産4ムラノ島のガラス細工と並んで、ブラノ島のレース編みもヴェネツィアの伝統工芸の1つです。時間の都合でブラノ島には行けなかったので、サン・マルコ広場近くのお土産物店で花瓶敷きを買いました。

ヴェネツィアのお土産5マーシャへのお土産も忘れてません。三毛猫のイラストの入ったパッケージが気に入って買いました。猫缶の方は "SURIMI" 入りと言うのがとても興味を惹きました。"SURIMI" は欧州でよく売られている「かに蒲鉾」です(^^)

ヴェネツィアの猫達

ヴェネツィアの猫1ヴェネツィア滞在中に見つけた猫達の写真です。
どの猫も、肝が据わっていると言うか何と言うか、寄って行っても全然逃げようともしないので、ちょっとビックリしました。でもそのお陰で、娘は撫でくりまわす事が出来て大喜びでしたが...。
こちらはヴェネツィア本島で見かけた猫。イタリアの国旗が妙に似合いますね(^^)

ヴェネツィアの猫2ムラノ島で訪問したガラス工房で飼われていた猫。工房内は温度が2千℃にも及ぶ竈もあるので、窓は開け放ってあってもかなり暑いです。この日の最高気温は31℃ですから、それに比べたら随分過ごし易いですけど、それでもやっぱりね...(笑)。

ヴェネツィアの猫3ムラノ島のとある広場の植え込みで爆睡していた猫。一瞬行き倒れてるのかと思いドキッとしましたが、お腹が動いていたので安心しました(^^;

ヴェネツィアの猫4ヴェネツィア本島で見かけた猫。寄って行ったら、ゴロニャ~ンと引っくり返っちゃいました(^^)

ヴェネツィアの猫5ヴェネツィア本島で見かけた猫。ここは一体何?と言う廃屋の様な場所でしたが、窓枠に張られた金網の破れた隙間から半身を出していました。器用?

ヴェネツィアの猫6ジュデッカ島の船着場付近で見かけた猫。この猫って、ひょっとしたら一生この島から出る事はないんだろうか...と考えていたら、16世紀後半からヨーロッパ全土を襲ったペストの事を思い出しました。ヴェネツィアではこのジュデッカ島に感染患者を収容・隔離するための病院があったそうです。目前にヴェネツィアを見ながら、生きてその地に戻る事が出来ない当時の人達を思うと、計り知れない悲しみがこみ上げてきました。
まさかこの猫は、「いつか船で島を出よう!」って機会を伺っているの?

水の都ヴェネツィア

Venezia '08先日も書きましたが、今年の夏休みの旅行は娘のリクエストでヴェネツィアに行きました。
市内は殆どの場合、ヴァポレット "Vaporetto" と言う水上バスで移動します。大運河 "Canal grande" の反対岸に行くには、橋を渡る他にトラゲット "Traghetto" と言う渡し船もあります。水上タクシーはその名の通り。また、ゴンドラも忘れてはなりません。兎に角、ヴェネツィア(本島)には車が走っていないので、宅配便や引越し屋、ゴミの収集に至るまで何でも船が基本。人は歩くか船に乗るしか移動手段がないのです。と言うわけで、乗り物酔いをする娘を連れて行くのはちょっぴり心配だったのですが、どうやら船は全然平気な様で、「もっと乗りた~い!」と言う始末。反って僕の方が酔っちゃいそうでした(笑)。

市内観光は勿論ですが今回は少し欲張って、ムラノ島でガラス工房を見学したり、映画「ヴェニスに死す」の舞台ともなったリド島で海水浴、また、ヴェネツィア派(ベルリーニ、ジョルジョーネ、ティツィアーノ、ヴェロネーゼ、ティントレット)の絵画を見て回りました。

また、ヴェネツィアはヴェルディの「椿姫」や「リゴレット」が初演された場所であり、同じくヴェルディの「オテロ」や「二人のフォスカリ」の舞台でもあります。「二人のフォスカリ」は15世紀に実在したヴェネツィア共和国の統領 "Doge" フランチェスコ・フォスカリの歴史的事実を題材に書かれていますが、オペラの登場人物の屋敷が現存する点にでもとても興味深いです。現在、F.フォスカリの屋敷はヴェネツィア大学の本部になっています。また、彼の墓があるサンタ・マリア・グロリオーザ・デイ・フラーリ聖堂 "S.Maria Gloriosa dei Frari" にはティツィアーノの代表作の1つ「聖母被昇天」等がありますが、サン・マルコ寺院の楽長でもあった16世紀の作曲家クラウディオ・モンテヴェルディもここに眠っています。

因みに、今回妻は4回目、僕は3回目のヴェネツィア訪問でしたが、毎回サン・マルコ寺院内に入っているので、後回しにしている内についに入りそびれてしまいました。娘は初訪問だったんですよね。ちょっと気の毒な事をしてしまいました。ま、本人はまだ気付いてませんが、これ、次回の課題です(^^;

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